みんなの俳句

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2012/10/19 14:06:12|俳句
2012年 10月18日(木曜/ 旧暦9月4日)
 
 秋の灯にひらがなばかり
 
                    母の文
 
 
                                                                        
                                                                               倉田 紘文
 
 
 
 平明な俳句なので、くどい説明は不要だろう。65年の作。本人
 
 の「自句自解」によれば、 高野素十主宰「芹」に投句していた
 
 頃、初めて雑詠巻頭に掲載された句 だという。素十からは 次の
 
 句評も貰っている。
 
 「平仮名で書く母の文。それは全く悲母という言葉にふさわし
 
 い。(中略) この母と子の間にあるものは只愛とその姿と姿と
 
 だけである。この句には そんな 美しい感銘がある。」
 
 弟子にたいする 最大級の賛辞といってよいだろう。 
 
  倉田紘文(くらた こうぶん・1940 – )大分県出身。父親が俳
 
 人であったため、幼少より 俳句に親しんでいた。1959年「芹」
 
 の九州俳句大会が 初めて耶馬溪で開かれた時、当時大学生だっ
 
 た紘文は 素十と出会い、即 師事を頼み込み、受け入れられる。
 
 紘文32歳の時、能力を見込んだ素十の強い勧めで俳誌「蕗」を創
 
 刊、主宰に。その上 新聞雑誌等にも活躍の場を広げ、98年には
 
NHK俳壇」 の選者まで務めあげた。本職は別府大学文学部名誉
 
 教授。句集は上掲句も収録してある 第一句集『慈父慈母』をは
 
 じめ『光陰』『無量』『死』『都忘れ』『帰郷』『水輪』な
 
 ど。 評論に『高野素十の世界』『高野素十「初鴉」全評釈』他
 
 が、また『至福の俳句』と題した 入門書もある。(島晴彦)                   
 
 
  ふるさとに母ありて春深きかな  紘文
  
 
  身辺にものの影ある晩夏かな
 
 
  歩きつつ人遠ざかる秋日かな  
 
 
  ゆけむりの風と遊べる小春かな
 
 
  風花のおしもどされて漂へり  (『光陰』)
 
 
  現れてより立ち通し曼珠沙華
 
 
  長き夜の遠野に遠野物語    (『無量』)
 
 
 ●お詫び
 
 長年にわたり拙文にお付き合いいただき 有り難うございま
 
 す。この度 掲載までのシステムが変更になりましたことで
 
 昔の人間にはついていけなくなりました。
 
 ここで 暫くお休みを頂いて新たに出直しをいたいと存じま   
 
 す。勝手なお願いを申し上げますこと 深くお詫び致します。
 
    10月19日               島 晴彦
 
 
 
  







2012/10/12 17:52:35|その他
2012年 10月12日(金曜/ 旧暦8月27日)
 
 わたくしは辵(しんにゅう)に首
 
 
 萱野を分け                       澁谷 道
 
 
 
 作者自身の名「道」を分解すると左の部首が「しんにゅう」で、右側がたしかに「首」
 
 になっている。白川静著『常用字解』によると「辵」は歩く、行くの意味とある。
 
 そういえば、迂・巡・辿・遠・近・送・迎・逃・通など、みな道に関連したものだ。
 
 その「道」には「首を手に持って行く」の意味もあった。上掲句では、首を持って萱野
 
 を分け入るのも「わたくし」だというのである。幻想の世界を詠んだ一句である。
 
 1990年作。第六句集『素馨集』所収。作者・渋谷道(しぶや みち・1926 - )京都市出
 
 身。恵まれた家庭環境に育ち 進学した医学校で赴任していた平畑靜塔教授と出会うこと
 
 が、俳句への道に繋がった。「天狼」創刊(1948年)から投句。のち「電光」に参加、
 
「夜盗派」「縄」同人を経て、「夜盗派」復刊同人。1966年に第一句集『嬰』を出した
 
 後、「暖流」主宰の滝春一に「この著者は 芭蕉や蕪村を読まずに俳句を始めたのであ
 
 ろう」と評されたりした。作者はそれを見て「愕然とする」と反省。以後、芭蕉関連の
 
 本を読みふけり、また橋關ホに連句を学んだりもした。
 
 1984年 現代俳句協会賞、2010年 現代俳句大賞受賞。そして2012年には 句集『渋谷道
 
 俳句集成』(2011年11月刊)で第46回蛇笏賞受賞に輝いた。以下、好みの8句を拾って
 
 みた。(島晴彦)  
 
 
     炎昼の馬に向いて梳る  道   『嬰』(1966年刊)
 
 
     逢瀬には霧の雫を鱗とし       『藤』(1977年)  
 
 
     灰のように鼬のように桜騒       『桜騒』(1979年)
 
 
     草の絮うすうすと死も飛んでいる  『素馨集』(1991年)
 
 
     折鶴をひらけばいちまいの朧      『蕣帖』(1996年) 
 
 
     逢瀬には霧の雫を鱗とし      『蘡』(2008年)
 
 
     母在せり青蚊帳といふ低き空    「俳句集成」
 
 
     息つぎの垂れてそだちし氷柱かな  「俳句集成」 







2012/10/05 22:47:50|俳句
2012年 10月5日(金曜/ 旧暦8月20日)
 
 水音と虫の音と我が心音と
  
 
                                                          西村 和子
 
 
 質がまったく異なる三つの音を組み合わせただけなのに、ある情景を描いて見せる。
 
 まず「水音」(みずおと)と「虫の音」(むしのね)だが、この二つの音は 今頃の季
 
 節なら、上流に近い川沿いの温泉宿へでも宿泊すれば、容易に耳にすることはできる。
 
 問題は「心音」(しんおん)である。心臓が収縮・拡張する時に起こる音と説明は
 
 できるが、日常の生活のなかで「自分の心音」を聴くなどということは不可能に近い。
 
 ここは「自分のこころの声」を聴いているとでも解釈すれば話は早い。ただし、声の
 
 内容がどんなものかは 本人以外は 分からないのだ。
 
 上掲句の出典は、作者本人の句集『心音』(2007年刊・俳人協会賞受賞)である。この
 
 一句からの名付けであることは間違いあるまい。つまり 自信作というか、本人が気に
 
 入っている句なのであろう。
 
 西村和子(にしむら かずこ・1948 - )神奈川県横浜市出身。実践女子学園高を経て、
 
 慶應義塾大学文学部へ。慶大俳句に所属、以来、清崎敏郎に師事。「若葉」同人。
 
 96年、行方克己と「知音」創刊。句集に『夏帽子』(83年刊・第7回俳人協会新人賞)
 
『窓』(86年刊)『かりそめならず』(93年刊)、そして『心音』である。
 
 評論は『虚子の京都』(2004年刊・第19回俳人協会評論賞)他がある。
 
 なお第一句集『夏帽子』を出した時の作者は35歳になっていたが、この間に結婚して
 
 所帯を持ち、二人の子供をもうけている。したがって最初の三分の一ほどが独身時代、
 
 彼氏との出会い、新婚時代。中程からは子育て句が俄然増えてくる。(島晴彦)
 
 
     熱燗の夫にも捨てし夢あらむ   和子 (『夏帽子』)
 
    つまづきし子に初蝶もつまづきぬ
 
   風邪の子の力なき眼が我を追ふ
 
   蜜柑むき大人の話聞いてゐる
 
   馴染むとは好きになること味噌雑煮  (『かりそめならず』)
 
   この町に生くべく日傘購ひにけり
 
   ひととせはかりそめならず藍浴衣







2012/09/28 19:43:07|俳句
2012年 9月28日(金曜/ 旧暦8月13日)
 
 あらためて孤りの生かいわし雲
 
 
                                                                                  岡本 眸
  
 
  孤りはひとりと読ませている。本来は孤一文字で「父の無いみなしご」の意味だが、
 
「王侯な どが自らをいう謙称」とも 漢和辞典にある。本人の句には よく「ひとり」
 
 という言葉が 使われる。例えば、  
 
 
   白玉や子のなき夫をひとり占め  眸  句集『朝』所収 昭和44年作  
 
     雲の峰一人の家を一人発ち       『母系』所収    昭和55年作  
 
   日記買ふこの世ひとりと諾へど     『一つ音』所収 平成16年作
 
 
 気がつくことは、上掲の句(『一つ音』所収)を含めても「心ぼそさ」「寂しさ」と
 
  いった気分は微塵もない。むしろ前方にある空を見上げたりして鰯雲を  読み込み、
 
  潔ささえ感じるのである。
 
  句集『一つ音』は平成16年の1年間を著者が1日も休まず詠み、ふらんす堂のホーム
 
  ページを使って発表してきた作品を1冊にまとめた句集。その「あとがき」を読むと、
 
 ──私は「俳句は日記」と心得て、身辺を詠みつづけております。(中略)自説の実践
 
 であるわけですが、さて取組んでみますと、他の仕事や、たまたま病気をしたことも
 
 あって、少々重荷に感じたこともありました ── とある。
 
 本人は述べてはいないが、汗と努力 の賜物なのである。
 
 なお 岡本眸には 『栞ひも』と題した 俳句エッセイ集がある(平成19年・角川刊)。
 
 その中の「私の俳句作法」から三句を引かせていただく。一句目はOL時代、二句目は
 
 主婦、三句目は寡婦になってしまった時である。それなりに起伏を経験されているので
 
 ある。(島晴彦)
 
 
   霧冷えや秘書のつとめに鍵多く   眸 
 
 
   更けて書く鉛筆くさき春厨 
 
 
   柚子湯出て夫の遺影の前通る







2012/09/13 18:56:36|俳句
2012年 9月13日(木曜/ 旧暦7月27日)
 
 足元はもうまつくらや秋の暮
 
 
                                          草間 時彦
 
 
 
 西の空を見ると、うっすらと赤みを残しているが「自分の足元はもうまっくらなのだ」
 
 と言って、季語の「秋の暮」で結んでいる。「秋の暮」つまり秋の夕暮のことである
 
 が、時間的に何時かを調べてみると 今年の場合、913日の東京の日没は1751分。
 
 これから10月・11月と だんだん早まってゆき、ピークは 冬至前の12月6日前後で 16時
 
 28分の日没となるのだ。このことから「秋の夜長」という言葉がでたし、 旧暦9月は
 
 夜長月の意味で「長月」(ながつき)という。更に言えば「秋の暮」は、四季のなかで
 
 最も「もの思い」に耽りやすい季節であろう。「秋思」という季語もある。
 
 古くは 13世紀の「新古今和歌集」巻四にある「三夕(さんせき)の歌」は、いずれも
 
 秋の夕暮れを詠んだ名歌の誉れが高い。参考までに挙げておく。
 
 
    さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮   寂蓮法師
 
    心なき身にもあはれは知られけりしぎたつ澤の秋の夕ぐれ      西行法師
 
    見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ    藤原定家朝臣
 
 
 なお、上掲句(句集『桜山』所収)の作者・草間 時彦(くさま ときひこ・1920-2003)
 
 は 東京で生まれ、鎌倉に長く居住。父が「馬酔木」同人であったこともあり、同誌に
 
 投句する。53年に復刊した「鶴」に入会。翌 54年鶴賞受賞し同人に。78 年から 93
 
 まで 俳人協会理事長を務め、俳句文学館の建設に尽力した。国際俳句交流協会顧問など
 
 も務める。99年(句集『盆点前』にて)第14回詩歌文学館賞。2002年(句集『瀧の音』
 
 にて)第37回 蛇笏賞を受賞している。(島晴彦)
 
 
    冬薔薇や賞与劣りし一詩人  時彦 (『中年』)
 
 
    秋鯖や上司罵るために酔ふ
 
 
    まつくらな海がうしろに切子かな  (『淡酒』)
 
 
    甚平や一誌持たねば仰がれず    (『桜山』)
 
 
    さくらしべ降る歳月の上にかな   (『朝粥』)
 
 
    色欲もいまは大切柚子の花     (『夜咄』)







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